活動理念


僕たちは、みんな、家族。


 5、6歳の頃、家族でヨーロッパを旅行していた時に船に乗った記憶があります。甲板は色んな人種の観光客や地元の人で賑わっていました。

ひとしきり風景や賑わいを楽しんだ後、僕はいつも通り父の膝に腰掛けて休もうとして、父の座っている方へ行き、膝によいしょと乗りました。そうしたら、周りの人たちが不思議そうにこちらの方に顔を向けて覗き込んでいます。僕はみんなどうしたのかな、と思って父に尋ねようと振り返ったら、父だと思っていたその人は、全然関係ない外国人でした。父は割と体格が良くて顔の彫りも深い方なので、間違えやすかったんだと思います。不幸にも父と間違えられたその人がどんな人だったかは忘れたのですが、その人も不思議そうに僕を見つめていたことは覚えています。僕は驚いたのと、ちょっと怖さもあって、パッと膝から飛び降り、本当の父がいる方を急いで見つけ、その方向へダッシュで駆け抜けていきました。


 その瞬間、僕を不思議そうに見ていた大衆が、その様子を見て大笑いしました。


 当時、イギリスの現地校に通っていて、少数の同じ日本人の友達から意地悪をされたり、仲間外れ扱いを時々されていた僕にとって、その体験は不思議でもあり、嬉しい体験ともなりました。片や同じ日本人なのに意地悪されることもあれば、片や全く違う国の人たちが共通のトピックで笑うこともできる。なぜだろう。


 肌や髪の色、言葉が違っても人間は分かり合うことができるのかもしれない。そしてどういうわけか、自分でそういう場を生み出すのが楽しい。子供ながらに悟りました。船のあの体験は、恥ずかしさより何より、その場にいたみんなが幸せな氣持ちで包まれていたことが嬉しかったのを今でも覚えています。1990年代のことです。


 子供の頃は長い夏休みなどを利用して日本に一時帰国をすることがありました。母の地元の鹿児島や、父の地元の山形を訪れる度に、壮大な自然と美しい水、美味しい食べ物に感動をして、日本の自然に憧れを抱くようになりました。


 やがて大人になり、見えない世界への扉を開き、いわゆるスピリチュアル的な体験をした僕にとって、日本の自然と日本の精神性への憧れはますます高まり、僕は魂のご縁を出雲に感じ、2020年に島根県に移住し、活動を始めました。


 この間、主に東島根と西鳥取のエリアで、沢山の出会いや地域との関わりを持たせて頂きながら、沖縄、静岡、秋田など、少しずつ全国での活動も増えていきました。そしてここでも、地域や自然によって全然違う風土があり、人は仕事や信念などが違うことで、全く異なる生き方をしている、ということと、それによって生じる軋轢も目の当たりにしました。それに対して自分の非力さや至らなさを呪うこともありましたが、その度に救ってくれる仲間がいて、次第に忘れていた「感謝」を少しずつ取り戻し始めました。


 そうして、逆境を一つ一つ乗り越えていく中で氣づいたことは、この現実世界を創っているのは一人ひとりの意識なのだということ。そしてその現実が幾重にも重なるようにして僕たちは世界を分け合っているということでした。まさに奇跡のような毎日です。


 今は、人と人がたとえどんな違いがあったとしても、柔軟さを高めて個性を発揮していきながら、皆様とコラボしていくことが楽しいのだということを学び、全てが今の自分の血肉となっています。


 子供の頃の体験と、大人になってからの体験、この学びの全てを組み合わせたら、世界中に共感される芸術表現を生み出すことができるビジョンがあります。お互いの違いや変化を受け入れ、許し合い、学び合いながら、世界を平和の地球にしていく、そんな芸術をみんなで楽しんでいるビジョンです。


 実際に皆様に楽しんでもらえるかどうかはやり続けないと分かりませんが、最善を尽くして良いものを生み出すべく、これからも挑戦をして参ります。


 それは歌になり、映像・舞台作品になり、ミュージカルやイベント、レッスンやワークショップになるかもしれません。ですがそこに乗っけている想いはいつも同じでありたいと考えています。


僕たちは、みんな、家族。



2025年2月吉日

汰生喜-Taiki-

(池田泰基)